先週の土曜日の午後、カルチャーセンターでちょっとした講座を受講してきた……というと、マダムの優雅な休日の昼下がりっつー気がしないでもないが(え? 全然しない?)、受講してきた講座の名前は「少女マンガの力の秘密」というもの。超面倒くさがりで出不精で人見知りが激しい私(←本当だ)がなんでまたそんなところへ行ったかというと、講師がマンガ研究者のヤマダトモコ氏と元小学館編集者の山本順也氏だったからだ。あの1970年代別冊少女コミック黄金時代を作り上げた伝説の編集者の方ですよ。HOTと呼ばれた萩尾望都、大島弓子、竹宮惠子が大活躍をした時の編集者ですよ。これは行かねばなるまい。

っつー訳でしつこいようだが超面倒くさがりで出不精で人見知りが激しい私は緊張しながら会場である新宿住友ビル内の朝日カルチャーセンターの中に入る。ああ……空気がなんだかカルチャーセンター……(←意味不明)。オバサマが多いわ……まあ、私もオバサマな訳だが。でもって受講中に携帯電話を鳴らしちゃいけねぇと思って鞄の中を探してみたら携帯がない。どうやら自宅に忘れていたようだ。確認のため自宅に電話をかけようと公衆電話を探す。……ダイヤル式の電話だよ。ダイヤル式のジーコジーコ回す電話なんて10年ぶり以上のような気がする。公衆電話もちょっとレトロ。

それはともかく。ちゃんと携帯電話が自宅にある事を確認してから講義が行われる部屋に入る。30人も入ればいっぱいになるような小さな部屋の真ん前右側にブルドックのような顔をした初老の男性が腕組みをして座っている。確か「おごってジャンケン隊 第2巻」(現代洋子、小学館)のゲスト・萩尾望都の回の時にジャンケンに負けて食事代を支払うことになったのが山本順也氏だったが、当然の事ながらあの時の似顔絵よりもぐっと老け込んでいる。第一印象は気難しそうな感じ。

しかし話し始めたらそんな第一印象とは打って変わって、にこやかに顔をくしゃくしゃにさせながら当時の話をし始める。山本氏がマンガ雑誌に関わるようになったいきさつ、少女コミック創刊時の苦労話、HOTのエピソード、当時の漫画界の専属制度について、山本氏の定年退職記念パーティの話など等色々。貴重なお話を聞けて本当によかったですよ。やっぱり伝説の編集者だけあるわ~と思ったエピソードがいくつかあったのだが、特に印象的だったのは、1970年代に萩尾望都が大ブレークする前に初期短編作品集を別コミや週コミに再掲載した理由を話したときだ。

当時他の雑誌で発表された作品を系列会社でもない会社で姉妹誌でもない雑誌が再度掲載する事はなかったという。しかし1970年代の前半に、別コミや週コミでは萩尾望都が他の雑誌に描いた作品も含めた初期作品の再掲載を行った。今回の聴講者の方がそれは何故か、何故萩尾望都はそういう風に特別だったのか?と質問した事に対して、山本氏は「ずっと読んでもらいたい作品だから」「雑誌は載ってしまえば一度きりだが、それだけではなくもっともっと読者に知っておいてもらいたかったから」、さらに「作者と読者の関係をしっかりと作って欲しかったから」と回答したのだ。作者と読者の関係をしっかりと作って欲しい、ですよ。編集者ってぇのは漫画家を育てるだけでなく作者と読者の仲人役でもあったんだな。うーむ。

もっとお話を聞きたかったが1時間半はあっという間に過ぎ、講義が終わっても山本氏を囲んで話が続く。それでどなたかが「それでは上の(フロアの)ティールームに場所を移動しましょう」と提案され、人の波は少しずつ少しずつ移動したものの、超面倒くさがりで出不精で人見知りが激しい私(しつこい)はその輪に加わることができず、とぼとぼと帰ってきてしまったのだった。まったくもう、小心者で内気で気弱でチキンな自分が憎いぜ。

山本氏は2004年の3月に倒れて救急車で運ばれ生死の境をさまよい現在もリハビリ中との事で、お話をしている時もしきりにおなかをさすりながらだった。今まではなるべく表舞台には出ないようにしていたとのことだが、もしかすると九死に一生を得た事で今のうちに話しておこうという気になられたのかもしれない。山本氏の講演だけでなく、こういうディープな漫画関係者の方の講演等、機会があればまた聞いてみたいと思って司会をされていたヤマダトモコ氏に次の予定等を伺ったのだが、まだ決まってない(予定はない)との事だった。ちょっと残念。でもなんとか時間を作って、川崎市民ミュージアムの「少女マンガパワー!」展は見に行きたい(今回の講座はこのイベントの関連企画なのだ)。だけどなー、今週も来週も全然会社休めねぇーーーーー。
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