早い……、早いよ、今年の春は! もうね、年取ると色んな事について行けない訳ですが、桜の季節だけは先陣を切って突っ走ってきた私です。しかし今年は走る前からもう息切れ? 桜の季節だし、走っちゃうよ!と玄関で靴ひも結んでいたら目の前をF1カーみたいなスピードで桜前線が横切ってるみたいな? 今年の春のスピードにはもうついていけてません!(泣)

今の仕事についてから、特にこの3年ほど春と年末が一番忙しく以前のように平日会社をサボって花見三昧などという夢のような休み方が出来なくなって、前回の上司との面談でも「次の春はちゃんと花見をしたいです」と主張して呆れさせてしまったのだが、私は100%、本気なんだよおおおお! でもまあね、土日祝日は一応休みなので、3月に入ってからは定番の場所でかけずり回っています。どんだけかけずり回っているかというと、私はiPhoneにMovesという移動履歴記録アプリを入れているのだが、3月17日(日)に新宿御苑→皇居東御苑→浜離宮庭園と移動しつつ花を見ていたのがこんな感じに。↓

20130317moves新宿御苑
上の地図の下のペットボトルマークは新宿御苑千駄ヶ谷門近くのコンビニ、千駄ヶ谷門から新宿御苑に入場し入口そばの大寒桜を堪能し、レストハウスそばのベンチで買って来たパン類を食べつつ葉桜になりつつある修善寺寒桜を見て、枝垂れ桜や都内で一番大きな白木蓮の満開ぶりに見とれつつ新宿門(上のベンチマーク)から脱出、地図の芝生が緑色なので、薄緑で表示されている移動履歴が非常に見にくく、しかもかけずり回っているというよりも徘徊しているとしか見えないかもしれないが(笑)。

20130317moves皇居東御苑
新宿御苑から皇居東御苑へ。移動履歴の色を指定できるともっと見やすくなるんだが(もしかすると指定できるのかもしれないが、使い方をわかってないので指定できていない)。

20130317moves浜離宮恩賜庭園
そして浜離宮恩賜庭園へ。なんかクレヨンでぐしゃぐしゃと塗りつぶしたようになっていてこの線通りに歩いてたんだとするとちょっと危ない人みたいに見えるかもしれんが、ここは順路として細い道がたくさんあるので道なりに移動しているとどうしてもこうなってしまうのである。そんなこんなでこの日の歩数は18,814歩、結構歩きました。体重は全く減ってないがなー。なおこのアプリ、移動履歴記録とか(場所名、店舗名なども入れられる)万歩計の他にも色々表示できて面白いのだが、バッテリーを非常に食うのでオススメはできない。

新宿御苑の寒桜 新宿御苑の寒桜
そんなわけで3月9日(土)、新宿御苑は寒桜が満開。

新宿御苑の河津桜 新宿御苑の木瓜
関東地方ではいち早く咲く河津桜(写真左)も満開、木瓜の花(右)はまだまだ咲き始め、白木蓮は上の方がちょっと咲き始め、ソメイヨシノは全く咲く気配なし。

浜離宮恩賜庭園の梅林 浜離宮恩賜庭園の梅
移動して浜離宮恩賜庭園(新橋)へ。ここは満開の梅が解放中で、普段は柵で囲ってある梅林の中に入ることができた。

浜離宮恩師庭園の梅 浜離宮恩師庭園の梅
ちょっとわかりにくいかもしれないが、「緑萼梅(リョクガクバイ)」という緑色っぽい梅。

浜離宮恩師庭園
庭園の池の真ん中にある東屋と背後のビルの風景が静かで美しくて、つい、この景色の中に鷲津(大森南朋)を置いてみたくなるハゲタカ廃人の昼下がり(笑)。昼間だから酒じゃなくてお茶で、庭園を見渡せる東屋の縁台に腰を下ろす鷲津、背後に控えている中延さん(志賀廣太郎)、そして多分どっかのおえらいオヤジ(俳優未定、まあ財界の黒幕となっているだろう飯島さん(中尾彬)でもいいけど)が日本に帰ってきたのなら顔ぐらい見せなさいとか言われて仕事ではないということで会っているけど、もちろん今後の活動の布石でもあるわけね。……とか(うっとり)。

翌日の日曜日は確か黄砂と風がひどかったんじゃなかったけ? 一日家でずっと溜まっていたドラマの録画を見ていたような気が。そして翌週の休み、3月16日(土)はハゲタカ廃人な皆様と「公開セミナー 名作の舞台裏「カーネーション」」を聞きに行って、その後ドラマ「ハゲタカ」ロケ地「賭けてくれませんか、私と芝野に」倶楽部(新宿、オーキッド倶楽部)で鷲津が眺めていた夜景を見ていたので花見はなし(このネタは次の記事で書きます)、翌日17日(日)が上で書いた徘徊18,814歩の花見三昧。

新宿御苑の高遠小彼岸 新宿御苑の高遠小彼岸
17日、新宿御苑のソメイヨシノはまだ咲く気配なし、写真は「高遠小彼岸」という小振りの桜。小彼岸はどの系統の木もソメイヨシノみたいにまとまってどぼどぼ花をつけないのでちょっと寂しげ。

新宿御苑の枝垂れ桜 新宿御苑の枝垂れ桜
枝垂れ桜は満開〜。

新宿御苑の大寒桜 新宿御苑の陽光(桜)
写真左は満開の「大寒桜」、右は一分咲きの「陽光」。「陽光」は花の色が濃くてソメイヨシノよりも咲くのが早め。

新宿御苑の白木蓮 新宿御苑の白木蓮
新宿御苑のでっかい白木蓮、満開〜。東京では確か前日に桜の開花宣言をしていたようなので、開花宣言の基準木の桜がある靖国神社に行こうかと迷いつつ移動。

皇居東御苑の寒緋桜 皇居東御苑の天城吉野(桜)
結局靖国神社ではなく皇居東御苑へ。写真左が満開の「寒緋桜」、右はやや満開の「天城吉野」。葉っぱ以外で「大島桜」との違いがよくわからない。

浜離宮恩賜庭園の菜の花畑
さらに移動して浜離宮恩賜庭園へ。ここは……八重桜が多いせいか桜の木がまだ全然咲いてないーー。でも菜の花畑が満開。

気がつくともう夕方、まだ六義園(駒込)の夜桜は開放してないかな?とかこの際、井の頭公園(吉祥寺)の開花状況もチェックしたいしとか思いながらもさすがにヘトヘトになって帰宅、家で大河ドラマ「八重の桜」を見ながら夕飯を食べていたらなんと9時過ぎにバタンキュー(←死語)でした。

あー、まだまだ花見の季節はこれから! ……なのに、すでに置いてけぼりな予感(泣)。
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おおやちき展
昨日まで森下文化センターで「おおやちきの世界展」を開催していたので2月23日に見に行ってきました。いやあ、ため息をついてしまうようなおおやちきの元の原画の美しさもさることながら、展示してある関連雑誌資料が網羅的で、まさにこの資料の展示そのものが実におおやちき的と言ってもいいかもしれない。そして、3月2日にマンガ評論家の藤本由香里氏と漫画家の松苗あけみ氏によるトークイベントがあるというネタはtwitterから掴んでいたので申し込んでみたら、定員150名のところ141番目で、あともうちょいでアウトでした。

トークイベント「りぼん」と「ぶ〜け」とその時代
そんな訳で3月2日にちんたら会場に向かったら当然満員御礼で受付からずらーーっと人が並んでいる。その並んでいる行列の中から「Kさん!(←私のリアルネームね)」という声があって見てみたら、なんと大学の漫研時代の後輩の子達が4、5人いてびっくり。久しぶりすぎる。トークイベントの後に何人かと夕飯を食べつつ、懐かし話ではなく昔のようにマンガの話で色々盛り上りしゃべくりまくって楽しかったのは置いておいて。

トークイベントの方は非常に中身の濃い、聞きごたえのある充実したものでした。司会の藤本さんはともかく漫画家の松苗さんがあんなに面白いトークをする方だとは思わなかったですよ。しかも松苗さんの漫画に対する愛とか、他の作家さんの作品への洞察と理解がまた素晴らしい。以下、超簡単に備忘録として残しておきます。乱暴にメモしただけなので聞き取れなかった所も多々あり非常に雑な覚え書き、どうかご容赦のほどを。以下、敬称略、失礼(松苗さんと藤本さんはトーク中は当然普通に敬称をつけて話されています)。

ステージ上のスクリーンには次から次とおおやちき他の作家の作品や漫画雑誌の表紙などが投影され藤本由香里と松苗あけみのトークでイベントが進行、話の流れとしては大まかに、1、おおやちきの作品およびエピソードについて、2、雑誌「りぼん」→「リリカ」→「ぶ〜け」への流れについて、3、松苗あけみが一条ゆかりのアシスタントとして参加した前後の話、4、松苗あけみのデビューから現在まで、5、質疑応答、という感じ。なお、おおやちきは漫画家時代は「大矢ちき」というペンネームだったので、以下「大矢ちき」という表記をしておきます。

[トークより]
・(大矢ちきの)「雪割草」のラストシーンの点描は一条ゆかりが描いていたが、時間にうるさい編集が来ててギリギリだったのに一条ゆかりがまだ描くからといって2時間延ばした。
・リリカの編集部で初めて大矢ちきに会った時は歴史上の人物に会った、という感じがしたのに、本当に優しくて控えめな人だった。
・松苗あけみの高校の後輩がくじらいいくこで、彼女がデビューして間もない頃にりぼんに持ち込んだらデビュー前の内田善美の作品を見る機会があってファンになり、ファンレターを自宅に出して以降(くじらいいくこと内田善美が)親交を深めた。当時内田善美は一条ゆかりのアシスタントをしていたが女子美の卒業制作と重なって忙しくて後任をさがしていた。その時に内田善美と同じ女子美に通っていた(松苗あけみの高校の時の)先輩から声がかかって内田善美と知り合った。
・漫画家には2種類あって、絵が描きたくて漫画家になる人と物語を読んでもらいたくて漫画家になる人がいる。物語を伝えたいっていう人の方が長続きするような気がする。一枚絵で勝負できるような人が漫画を描き続けるのは相当つらい事なのではないか。内田善美と水樹和佳が「お互い、絵柄を呪った事ない?」「あるある」と言っていた。
・リリカに多士済々な作家が描いてたのはカラーで原稿料が高かったから。また小学館系の作家が多かったのは小学館には(当時どの出版社にもあった)専属制がなかったために自由に描けたから。
・リリカが1979年3月に休刊して、ぶ〜けの編集長からリリカが休刊するから描かない?と声をかけられたが、当時リリカの次の号の原稿を描いていたので驚いてリリカの編集にもう描かなくていいのか?と聞いたらそれは描いて下さいと言われた。
・ぶ〜け誕生にはりぼんコミックからの流れがある。りぼんコミックは作家性を大事にする雑誌でりぼんよりも売れてしまったが、ノンノを創刊する事になり予算の関係からりぼんコミックが休刊になった。その後りぼんからりぼんデラックス、ぶ〜けという流れができた。
・ぶ〜けはお金がなかったのでオールカラーでも三色印刷だった。色の再現をする印刷屋の職人芸がすごかった
。黒が使えないから茶色を使ったりした。
・松苗あけみがぶ〜けの表紙を描くようになってから、表紙(表1)と裏表紙(表4)と背表紙がつながった1枚絵になったが、原稿のサイズがでかくなって机の上にのらないくらいだった。

[質疑応答より]
・内田善美、八代まさこ、三岸せいこの消息は?
→内田善美は実家で元気に暮らしている。先輩の中には連絡をとって人もいるのでそのうち会えたらと思っていながらもなかなか……。でも会えたらせめて作品の復刊だけでもお願いしたいと思っている。八代まさこは編集の人から聞く程度しかわからない。三岸せいこはぶ〜け執筆当時学校の教師をしていたが、学校の仕事はどうしても辞められないので漫画を描き続けることは出来なかったとのこと。
→当時女性の漫画家は少女誌でデビューするしかなかったが今なら青年誌でデビューして活動することができる。青年誌なら臨機応変に描く事ができるので、内田善美も大矢ちきも青年誌という道があってそこに活路を見出していれば今も作家を続けていたと思う。大矢ちきも内田善美も登場が早過ぎたのかもしれない。
・(一条ゆかりの「デザイナー」の中で)大矢ちきが柾を描いていたり、松苗あけみが(一条ゆかりの
)「有閑倶楽部」で王子様を描いていたが、どういう時に他人の作品に描く事になるのか?
→先生が忙しいとき。描いている暇がないとき(笑)。
・ぶ〜けの三色分解印刷を初めて知ったが、原画を見てもあまりわからないが。
→本当に印刷屋の職人技がすごかった(笑)。原画は普通に描いていたが、でも色が出やすいように黒の部分を茶色で描いたり、黄色・ピンクが多いときは青は使わないとか、青主体の時は緑を入れたりという工夫はした。

……という感じで色々はしょりつつざっくりと。

おおやちき(大矢ちき)
「おおやちきの世界展」会場内は撮影禁止だったし、トークイベント中の撮影もマズイかと思って写真を撮っていなかったので、とりあえず大矢ちきの手持ちのスクラップをピックアップしてみました。↑光と影、陰影の中の色彩が非常に美しいシリアスな絵とポップでコミカルな絵を同時に描ける漫画家さんでした。……って、今もイラストレータとしては現役ですけど。

しかしまあこの会場(江東区森下文化センター「田河水泡・のらくろ館」)の蔵書のセレクトがまた素晴らしい。漫画好きをうならせる蔵書ラインナップもさることながら、どのコミックスも多分一番最初に出た形の単行本を収蔵しているのではなかろうか。私は本の初版には全くこだわらないが最初に出た単行本の形にはちとこだわりたい所があるのでこれまたなかなかうれしいラインナップ。

これはこの次のイベントにも是非とも期待したい所です。
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