PLUTO 第5巻豪華版は20日発売だが、普及版はちゃんと30日に発売するとわかっていたのに、一応3日は我慢したけど……やっぱり先に出だ豪華版を買っちゃったよ、「PLUTO 第5巻」(浦沢直樹、手塚治虫、手塚眞監修、小学館、ビッグコミックス)。もうっ、バカバカバカ。

今回、メインになるのはロボットの憎しみ。任務で人間であるアドルフ・ハースの兄を殺害してしまったロボットのゲジヒトは、殺したのは憎しみからではなかったのかと深く悩み殺害の記憶のフラッシュバックに苦しむ。そして初めて人間を殺して拘束され続けているロボット、ブラウ1589にそのことを指摘される。「私と同じだ」と。一方第4巻で破壊され修理をしても全く目覚めないアトムとお茶の水博士の前に現れた天馬博士は、かつて完全なロボットを作ったがそれはあまりにも複雑すぎたために目覚めなかったと告げる。そして混沌の中にあるロボットの人工知能を目覚めさせるために必要なのは偏った感情を注入することだと。

やっぱり感情の中で一番強いものは憎悪なのか。進化しすぎたロボットはやがて憎しみを学習してしまうのか。あるいは強い憎悪を経ないとロボットは進化しないのか。しかし今までこの作品に出てきたとてつもなく人間に近いロボットたちは皆、心優しい平和を愛するロボットばかりだった。それは不完全だからなのか。完全なロボットとは一体なんなのか。それは技術の進歩とともにより人間化していく亜種としての人類であるロボットとは一線を画すものなのか。

今回は悪辣なツラ構えをした天馬博士の孤独も描かれる。失った我が子・飛雄の代わりに作り上げたロボットのアトムは、自分の本当の息子とは違って天馬博士が作った料理をおいしいといって食べるのだ。アトムは天馬博士がこうであってほしいと思う飛雄を再現していたが、しかしそれは現実の飛雄とは違っていた。天馬博士が第4巻で「アトムは失敗作だ」と言ったのは、アトムが負の行動も負の感情(憎しみ)も持たないせいだったのだろうか。

でもよくよく考えてみたらアトムって当時の能天気な漫画作品の中では格段に複雑な過去を持つキャラクタだよなあ。生みの父(天馬博士)に勝手に絶望された挙げ句捨てられ、サーカスの見せ物になっていたところをお茶の水博士に拾われるという結構なトラウマを抱える上に、たまにロボットである自分に葛藤するなんざ、当時(1950年代)は他には見当たらなかったのではなかろうか。

それにしても刑務所に入れられているダリウス14世を訪問するゲジヒトの場面、ずっっっとごく普通の刑務所の独房を描く白黒の場面が続くのだが、ダリウス14世が「これがプルートゥだ」と指し示す独房の壁に描かれた花畑だけ、カラーなのだ。今まで頭の中で自動的に自然色に変換しながら読んでいただけに、このたった一コマだけのカラーの花畑にはドキッとさせられるのが実に効果的。プルートゥが何故花畑なのかはまったくわからんが、とりあえず次の第6巻の表紙は一番ラストに出てきた花畑で微笑むオヤジで決まりか?
関連記事
テーマ:腐女子日記
ジャンル:日記
コメント
コメントを投稿
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事へのトラックバック