鷲津政彦7会社の同僚に「今日は3時で早退してまた見に行ってくる」と行ったところ、「2回も見に行くなんて本当に好きなんですね」とか「2回も見るなんてよっぽど面白いんですね」とそれぞれ言われました。……でも本当は3回目だよ、とは言えませんでした(遠い目)。

しかも「そんなに面白いんだったら私も見てみようかしら」と言ってくれたY岡さんに「いや、私は好きなんだけど好き嫌いが分かれる作品かも。それに今時の若手イケメンは玉鉄とあともう一人くらいしか出てなくてオヤジ率が高い映画なんだよね」とまで言ってしまいました。せっかくY岡さんが「あ、私、ギラギラしていない枯れているオヤジなら好きなんだけど」(←Y岡さんは枯れ専。会社のPCの壁紙はキース・リチャーズだ)と言ってくれたのにも「リーマンショックやサブプライム問題を盛り込んだ経済ドラマだから当然ギラギラしているよ~」と言ってしまいました。決して布教したくないわけじゃないのよ。でもなんか、Machintoshユーザーっぽい反応(Macへの愛を語るくせに他人にはMacをオススメしない、どころかWindowsをオススメする)をしてしまう私……。

さて。この映画は情報量が非常に多いために1回見ただけだとまずストーリーを追うのに必死になってしまって、それ以外のところになかなか目がいかないのはやはり私が未熟者だからでしょうか。このドラマってそれぞれのキャラが言葉で自分の感情を表現する場面がほとんどないために、皆何考えているんだかわからないようにしか見えない。しかし役者さん達はちゃんと表情で、仕草で、小道具で、そして行動で全てを表現しきっているために、2回目3回目となるとそれがちゃんと見えてくるのである。この映画は2度見をぜひともオススメする。

なお、ドラマ版の時と同様に鷲津政彦(大森南朋)の眼鏡の掛け外しはポイントですよ。はるばる南の島にまで鷲津を訪ねて来てくれた芝野(柴田恭平)に対して背をむけながらも、眼鏡はわざわざはずして話を聞いているのです。

今回もネタバレのため折りたたみます。
参照:
6月26日「映画「ハゲタカ」」(1回目鑑賞)
6月28日「映画「ハゲタカ」2回目鑑賞
7月2日「映画「ハゲタカ」3回目鑑賞」←いまここ
7月5日「映画「ハゲタカ」4回目鑑賞
7月8日「映画「ハゲタカ(字幕版)」5回目鑑賞
7月13日「映画「ハゲタカ」6回目鑑賞
7月15日「映画「ハゲタカ」6.5回目鑑賞(ハゲタカ映画祭)
7月17日「映画「ハゲタカ」7回目鑑賞
7月20日「映画「ハゲタカ」8回目鑑賞(DLPスクリーン)
さて3回目を見る前に、劉一華(玉山鉄二)の「きっかけ」はなんだったのかを考えてみた。

ニューヨークのホライズン社時代の初々しかった劉が、なぜあのような傲慢にも見える男に変貌したのか。もちろん年を重ね経験を積み、生き馬の目を抜く厳しい金融業界で揉みに揉まれてそうなった、と見るのが一番自然だろう。しかし銀行員時代の鷲津にとって三島由香(栗山千明)の父親の死が大きなトラウマとなってあのように変貌したのと同様に、劉にも何かそういうきっかけがあったのではないか。テレビ版の様々なエピソードをなぞるようにこの映画版でのそれぞれのエピソードが描かれていることを考えれば、鷲津にきっかけがあったのなら、劉にもきっかけが必ずあるはずなのだ。ではそれは一体何なのか。それはもしかすると鷲津の失敗したディールだったのではないだろうか。

マンダリンホテルで鷲津に「おまえは誰なんだ?」(今のお前は何者だ?)と聞かれたあの夜、劉はニューヨーク時代の鷲津について「ずっと見てきたよ、鷲津さん。俺はアンタを、ずーーっと……見てきた。成功も、失敗も」と、鷲津が初めて成功したディールで受け取ったボーナスのことを語った。しかし失敗したディールについては全く語らなかった。それまでの劉の言動からいえばいくらでも鷲津の失敗について語り、傷口をえぐりそうなもんなのにそれをしなかった。なぜか。つまりそれが劉にとってのトラウマになったからではないか?

ニューヨーク時代の劉にとって鷲津は雲の上のあこがれの人だった。ああなりたいと思いつつも手が届かない存在だった。しかしその憧れの存在がディールで失敗し、自分の中の偶像が粉々に砕け散った時、それが劉にとっては許せない大きなトラウマになったのではないか。その時から鷲津は劉にとって雲の上の人ではなく乗り越えられる大きな山となり、その時から劉は「鷲津」の仮面をかぶるようになったのではないか。

そして駐車場で鷲津から「愛していたんじゃないのか? お前だけが、本当にアカマを愛していたんじゃないのか?」「お前の故郷を調べた、劉一華。お前は一体、誰なんだ?」と言われ、鷲津からの2度目の「おまえは誰なんだ?」(本当のお前はどこにいるんだ?)の意味を理解し心臓をわしづかみにされた劉は、もうそれまでの「日本人残留孤児3世」の仮面も「鷲津」の仮面も被ることができなくなってしまった。もう残るのはアカマに夢と憧れをいだいていた小さな少年しかいなかった。だから彼はあんな顔をしたのだ。だから一晩中考えてあの結論(「自分は誰なんだ?」「自分がすべきことは何か?」と問いかけ続け、そしてあのころの自分こそが「ニセモノ」ではない本当の自分であり、原点に戻りアカマに対して本当の気持ちでぶつかる決心をしてアカマの再建案をその足で鷲津に送った)を出したのだ。ここで劉が死んでいなければ、劉一華の再生への道(「ROAD TO RIBIRTH」)が始まるところだったのかもしれない。

……と、つらつら2回目を見た後に思っていたんですが、3回目に見てちょっとだけ見方がかわりました。

まず劉の「きっかけ」だが、劉がかけだしのひよっこだったころのあのクリスマスの夜、一人でどんよりとしている鷲津のテーブルに割り込み、鷲津の独り言のような「お前は人を殺したことがあるか?」「俺はある。たった200万で」「強くなれ」「強くならないと人を殺してしまう」「それが資本主義だ」という言葉に(多分)衝撃を受け、あの「強くなれ」という言葉がバイブルになったという劉。しかしいくらあこがれの人からご直々に声をかけられたからといって、それだけではバイブルにはならなかっただろう。劉は多分、その後に「200万円で人を殺した」という鷲津の過去について調べたはずだ。そして鷲津が銀行員時代に上司の命令で融資の貸し渋りをしたために小さな町工場の社長(三島由香の父親)が自殺してしまい、そこから逃げるようにアメリカにやって来て、そして現実から目を背けるかのように仕事にのめり込んでいったいきさつを知る事で、彼の弱さに失望し、偶像が壊れていき、そして多分鷲津のディールの失敗を目撃する事で彼に憧れる事を止め、自分こそが鷲津を追い越すことができると、自分ならそんなヘマはしないと思うようになったのではなかろうか。

では、マンダリンのティールームで劉から「俺はアンタだ」と言われても眉一つうごかさず劉をみていた鷲津は、何を考えていたのか(↑一番上の写真。渋くてかっこええわ~。劉に「一緒にいかがですか」と誘われて微かに顎を動かしただけで返事をする様もよかったけど)。若い頃の自分にそっくりな劉を見て苦々しく思っていたはずだ。そしてここは本当に本気で劉の鼻っ柱をへし折ってやらなくてはならないと思っていたところに、劉の過去を調べていた村田(嶋田久作)が中国から戻って来て鷲津の前に写真を差し出す。鷲津にとっても想定外だった、小さな子どもが壁に描いた赤いアカマGTのいたずら書きの絵。一方芝野は、やがて中国政府がもしアカマの買収に成功したら全てを中国に移して解体するであろうという資料を手に入れる。そのため、鷲津はアカマの買収を成功させると言う当初の目的だけでなく、何も知らない(ただの兵隊でしかない)劉が自分の手で愛するアカマを解体することになってしまうのを阻止するためにも、そして壁に赤い車を描いた小さな男の子を救うためにも、今回の作戦に打って出たのだ。

劉からの最後の電話の場面。会議が終わって戻った鷲津は携帯電話の伝言メッセージに気がつく。不在着信のお知らせではなく、伝言メッセージのみがあったということは、伝言を残した後、さらに電話をすることが出来なかった状況だったということに鷲津は気がついたはずである。だから、驚き、そして動揺しながらもメッセージを最後まで声も出さずに聞いた(しつこいようだがここの鷲津の表情が本当にいいですよ)。これが他のドラマだったら、「おい、○○!」「なんだって!?」などというような電話への問いかけが入る事だろう。だが鷲津はそんなことはしない。何かの異常事態を速やかに察し、しかしもはや出来る事は何も無いであろう事に気がつき、それでも劉へ何度も何度も電話をかけ直してみるのみなのだ。まったくもって本当にキャラが一貫している。

さて、ところで劉はなぜ死なねばならなかったのだろうか。全く関係ないけど私が思い出したのは映画の「タイタニック」(1997年版)である。あの物語のラストでジャック(レオナルド・ディカプリオ)はローズ(ケイト・ウィンスレット)の手を離し深い海の底へと沈んでゆく。新しい大陸への夢と希望をいっぱいに持ってタイタニックに乗り込んだ貧乏なジャックに対して、金持ちの令嬢だが人生に絶望して死んだも同然の心でいたローズ。しかしローズはジャックと出会うことで死んだも同然の人生から浮上するのである。そして、海の底へと沈んでいったジャックから「夢と希望」を引き継いでアメリカにわたり、(壁一面のその後のローズの写真を見せることでしか説明されていないが)本当に生き生きとした人生を送ったのだ。当時思ったのは、ローズがジャックの心を引き継ぐためには彼は死ななければならなかったんじゃないかということだ。つまりここでアカマ再生の魂の引継ぎのために、劉は死ななくてはならなかったのではないか(……いくらなんでもこじつけすぎか)。

最後、アカマ本社で芝野と再会した鷲津は、アカマを本気で立て直そうと社長に就任する芝野に「相変わらずですね、芝野先輩」と言う。鷲津が「芝野先輩」という呼びかけを使うのは、この映画の中ではここだけである。「芝野先輩」というのはかつて銀行員時代に芝野にあこがれていた鷲津が使っていた呼びかけである。熱く夢を語る芝野に自分がかけだしのひよっこだった時代を思い出し、そして芝野の中にアカマに夢とあこがれを抱きつつも挫折した劉の姿を見た鷲津は「あいつ(劉)はあなたですよ」というのだ。夢と希望をもって未来に立ち向かおうとした一人の男(劉)は「ニセモノ」だった過去のために多分記録に残る事もなく消え去ってゆき、やがて関わった人たちの記憶からも消えてゆくであろう存在になってしまった。

だからせめて鷲津が劉の思いを拾うために劉の生まれ故郷に行き、かつての劉少年が見たであろう遠く先に延びる1本の道の見つめ続けた。最初は眼鏡をはずして、それから今度は眼鏡を掛けなおして。鷲津は常に素の自分でいる時、もしくは真摯に相手に向かい合いたい時には必ず眼鏡を外す。最初に眼鏡をはずして始まったこの物語は、こうして眼鏡をかけ直しファンドマネージャとしての鷲津政彦の帰還を予感させて終わるのだ。

……3回見てもまだ見たい。ちくしょー、鷲津ファンドがもし映画版「ハゲタカII」のための出資を募集するようなら、私も100万くらいまでなら(しがないOLなのでなけなしの金だが)出しますよ、鷲津さん!! なお、とりあえず手付金代わりにハゲタカ DVD-BOXをポチしておきました。
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コメント
ウォイ!行っちゃったかい、三回目。ますます分析が深くなってますな。でも周囲の人への反応が、Machintoshユーザーっぽい反応になっちゃうっていうのは、マニア向けっていう認識があるからか、フケ専コンプレックスか。(でもツボなんだね)
しがない主婦には100万どころか、10万も用立て出来ないけど、風眠舎がハゲタカ本を出したあかつきには、通販でポチさせていただきます。(ま、十二国記の新刊と同じくらいの可能性の低さだと思うけど)
2009/07/02(Thu) 08:21 | URL | suika | 【編集
>マニア向けっていう認識があるからか、フケ専コンプレックスか

マニア向けかどうかはまあ微妙なんだけど、一般受けする自信があんまりないのかもね。今回は本当に久しぶりに大ハマリ物件だよ。もう、原稿が全然手につかない(おいっっっ!)。

もちろん私にとっても100万円は大金だけどさー、でも出資というからには1,000円、2,000円の単位じゃないしね、それに天下の鷲津ファンドが出してくれというなら、そりゃ血を絞ってでも出します! ま、鷲津って近くにいたら絶対ヤなやつのような気がするけど。
2009/07/02(Thu) 21:01 | URL | tsumire→suikaさん | 【編集
おおっ3回目行ったかい!
惚れたねえ。新聞の映画評でTVドラマに比べ印象が散漫,とかナントカ書かれてたけど、そいつは読みが浅かったんだね。
しかし「踊る大捜査線」以来(か?)分かりやすくなくちゃヒットが望めない日本映画にとって、ここまでちゃんと深見?してくれる観客を得て、関係者はうれし涙を流しているかも!?
私も千円デーに見に行こうっと(←せこい)。
「タイタニック」の話が出たところで主演女優のケイト・ウィンスレットの「愛を読む人」を見て来たよ。10年くらい前ベストセラーになった「朗読者」の映画化ね。
なにが驚いたって、’58年に始まる話で、’66年ンに戦争当時二十歳そこそこだった主人公が収容所の看守だった事で裁判にかけられるんだけど、66年っていったら奥様や私は小学生!普通に暮らしてる末端の戦犯が裁かれるような時代じゃなかったよね。っていうか戦争って既に遠~い過去だったでしょ?
同じ敗戦国なのに日本人の戦争の忘却力に改めて感心。
われわれのボケぶりは別に全然心配しなくていいんだ、となんだか前向きになってしまったくらい。だってこれって正しい日本人の証拠なんだよ!
2009/07/03(Fri) 00:06 | URL | oha~ | 【編集
「TVドラマに比べ印象が散漫」? なんだろう、主人公が誰かわかにくくかったりご時世を背景に盛り込みすぎているからか?? でもこの映画を「経済ドラマ」としてだけ見たらダメなのかもね。感想やら妄想やら色々書いてきてだんだんわかってきたけど、この映画って盛り込まれる経済状況や社会状況は素材とかネタにしかすぎななくて、そこをはぎ取ってみたらちゃんとした人間ドラマとして描かれているんだよね。それが見えないとダメと思っちゃうかも。

>10年くらい前ベストセラーになった「朗読者」の映画化ね。

えーーーー、「朗読者」がヒットしたのってそんなに大昔だった? なんかつい最近のような気がしてたんだけど。まあ、日本人の忘却力は確かにすごいかもね。だからきっといつまでたっても中国とかから責められるままなんだよね。

>われわれのボケぶりは別に全然心配しなくていいんだ

「朗読者」は年寄りにそういう安心を与えてくれる映画と、、、(←違う)。
2009/07/03(Fri) 06:39 | URL | tsumire→oha~ さん | 【編集
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