やっと出ました「PLUTO第3巻」(浦沢直樹、手塚治虫、手塚眞監修、小学館、ビッグコミックス)。第2巻が出たのが2005年4月なので1年待ちですよ。にもかかわらず物語は多分相当長くなるはず。こんな調子で1年1冊のペースだと(「ガラスの仮面」よりはましだとはいえ)私が生きているうちにラストを拝むことができるのか?

今回は第1巻のノース2号と音楽家、第2巻のブラントとその家族のような個々のロボット達のエピソードをずっしりと描くのではなく、アトムとウランを中心にアトムたちが「生きている」未来社会を重点的に描いている。KKKのようなロボット差別極右集団KR団が登場し、心あるロボットと、ロボットの台頭によって仕事と生活の場を奪われてロボットを果てしなく憎む人間達の対比がくっきりとしてくる。

ところで今朝の朝日新聞には「PLUTO第3巻」の広告があり、荒俣宏と山形由美(フルート奏者)の対談が載っていた。一部引用する。

荒俣「人間なら悲しい記憶も時間とともに薄れていくけど、彼ら(ロボット)の記憶はいつまでも消えないし」
山形「そこが「神が作った存在」である人間と、「人間が作った存在」であるロボットの違いだと思うんです。悲しい記憶をいつまでも抱えていると生きていられないから、「忘れる」ことはすごく大切な機能でしょう。でも彼らは忘れる事が出来ない……。すごく悲しいです」
荒俣「それは大きなテーマでしょうね。第3集でついに姿を見せるプルートゥが、強い恨みを持っているらしい事も気になります。人間のようにどこかで「許す」ことは出来ない可能性が強い。アトムがどのようにプルートゥの怨念を解消し、成仏させてやるのか。そこをうまく描き切れば、末永く語り継がれる名作になりますよ」

このPLUTO世界のロボットは、「心」があるから哀しいことや辛いことを哀しいとか辛いと感じても、その「記憶」を人間のように自然に忘れることはできない(記憶を消去することは出来る)。でも簡単に忘れることは出来ないからこそ人間よりもずっと強く長く、「(争いによって生じた)憎しみの連鎖は断ち切らねばならない」と思い続けることが出来る。まるで人間のようにそっくりに作られた彼らだが、人間の亜種ではなく、人間とは全く違う「生き物」なのだ。

プルートゥは確かに強い何かの負の念を抱いているように見える。だが、彼の「心」がさまよっていた時にウランと交わした会話の数々から、彼もまた、抱いているのはそれだけではないのだということがわかる。ただの戦闘ロボットではないプルートゥの苦悩もまたこれから描かれるのだろうか。

それにしても毎回感心するのは単行本のラストページだ。原作でなら主人公だったはずのアトムは第1巻の一番最後に登場、主要な登場人物であるウランは第2巻の最後に登場、そして今回はタイトルにもなっているPLUTOがやっと、第3巻の一番最後に登場ですよ。週刊誌や月刊誌の連載作品でされる「つづきはいったいどうなるのよ!!」という終わり方を、1年に1回ペースで発行される(のか? 本当に?)単行本でやられちゃうと、読むのがつらいですよ。次の1年があまりにも待ち遠しすぎる!
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